シリアスレジャー研究のマジョリティ化
余暇ツーリズム学会2026年全国大会で「シリアスレジャーの「楽しくなさ」からアイデンティティを描く」という研究発表をした。パイロット的に行ったインタビューでは「楽しくなさに直面して『やめたい』と思う自分を抱えながら、しかしそれでもやり続けてしまうことが『オタク』らしさだ」という趣旨の語りが得られており、「好きだから」「楽しいから」では描けないような「シリアスレジャーをする私」の事例が収集できそうで今後も頑張りたい。
それとは別に重要だったのが、学会で話した研究仲間からの「余暇学の中でシリアスレジャー研究がマジョリティになっている」という指摘だった。自分はずっと趣味の研究はマイノリティだという意識で研究してきた。だが、現在は趣味の研究をしようと思った人が手にする文献として、シリアスレジャーは結構有力なポジションにある。それは『「趣味に生きる」の文化論』を出版できたことによると思うが、その結果として「余暇学=シリアスレジャー研究だと思っていた」という声も聞く。本来シリアスレジャー研究は余暇学の一分野に過ぎないのだが、日本では余暇学をやる研究者が少ない分、研究動向としての比重が大きくなりやすい。あいかわらず趣味の研究自体はマイノリティだと思うが、しかしその中でシリアスレジャー研究は「マイノリティの中のマジョリティ」化している。
自分が大学院生のときは、余暇学関連のことを調べようとしてまず手に取るのは渡辺潤先生編の『レジャー・スタディーズ』だった。そのため(シリアスレジャー研究と時に論争する)カルチュラルスタディーズ/現代社会理論系の余暇学にも自然に目を通していた。だが、『「趣味に生きる」の文化論』から入った人が『レジャー・スタディーズ』に至る動線はうまく引けていないと思う。シリアスレジャー研究をカルチュラルスタディーズ系の議論から切り離して紹介してしまった責任は自分にもあるので、今後は「余暇学の中のシリアスレジャー研究」を意識していきたいと思っている。